誰もが抱える人生の傷や汚れ

忌まわしいあの日の記憶が古井戸の底から這い上がってくるように甦ってくる

酸が増した胃液のように、苦い思いが意識に分泌される

沈んだ色合いに塗られた過去の心の風景

１０年たった今でも大きなしこりとなって頭の片隅に引っかかっている

深いところに沈めた記憶

「さて、記憶とはあやふやなものです」響野はつづける。「脳の中にノートブックがあり、中を覗いてみると、思い出すべきことが日本語で丁寧に描かれている。大事なところにはマーカーまで引かれている。そんなことは決してありません。記憶というのはしょせんは脳の中のシナプスの伝達活動によって生じるものです。シナプスの電位変化が記憶となるのです。何年経っても同じ形状で残っている保証はどこにもないでしょう。それこそ記憶とは、思い出そうとしている今この瞬間の自分によって新たに創り出された、『記憶と思われるもの』にすぎないのです。創造物です。まさに、『歴史』が、権力者によって捏造された共通認識であるのと似ています。記憶は生のまま氷温保存されるわけではないのですよ」

良人（おっと）の記憶をかみしめながら暮らした二ヶ月が、泥沼のように息苦しい

十七歳のユキの姿は、武内の心に 灼きついて消えない映像のひとつであった。

（新聞の）見出しを読んでおやっと思ったが、「おい、浅川」と呼ぶデスクの声に振り向き、そのまま忙しさに紛れて読みかけたままになってしまったのだ。