「何考えてる。どうして黙ってる」 「絃には分かってもらえない感覚かもしれないけれど、いま頭の中が空白なの」 「じゃあ、さっき暗い顔になってため息ついていたけれど、何も考えてなかったんだね？」 「さっきまで考えていたんだけど、絃にかれた途端、真っ白になった」 　絃と一緒にいると感情と思考が言葉ではなく音楽で流れて、感情に合わせてメロディが暗くなったり明るくなったりする。演奏がいきなり途切れた今、ホールには何の音もしない。さっきまでは暗いメロディが流れていたのと正直に言ってみたかったが、事実だとしても口に出した途端頭のたがが外れかけているふうに聞こえるのはわかっていたので、彼には言い出せなかった。

思考と会話の速度に言語中枢がついていけない。

がうっと言葉を詰まらせた。詰まった言葉が喉を刺激したのか、軽く咳き込む。

そのひとは、言葉につまると「つまり……」とか「ええと」とか言いながら、必ずいったん目を閉じるのだが、そうすると白いまぶたをふちどるまつげが突然くっきり見えて、かすかにひそめた 眉 に、おおらかなのと神経質なのが入り混じった彼女の人格のすべてがわかったという独特な感じがする。

（うまく説明できない）でもそこで言葉が突然ふっと消えてしまった。遠くの方で誰かが電話のコードを引き抜いたような感じだった。

下宿の主人は及川隆一が自分の言葉にのってこないのでしばらく黙った

錠剤のように言葉を飲み込む

口が感電したように痺れ、先の言葉が続けられない

洋子と英語で話すのは、改めて彼女に出会い直すような感覚だった。

息を吸い込んで言葉を捜したが、なかなか出てこなかった