まだらボケが入る人だが、今はかなり頭がはっきりしている。そんな口調だ。

老人たちはゆっくりと時間をかけて記憶を失い、事態を理解しないまま静かに息を引き取っていく。

（認知症患者は、）自分が差し出した人差し指を、まるで場違いな不思議なものでも見るようにぼんやりと眺めた

痴呆なのか寝ぼけているのか分からないことを言って

（忘れやすい）記憶の寿命はびっくりするほど短い。

少女の日の思い出が、ふっと花の匂いのように横切ってきて、

治郎吉との話をけろりと、忘れッ放して

（好きだった元カレのことを）あれこれとたずねられて胸のなかにまるで映画のシーンのように黒崎の立ち姿や表情が浮かび上がってくる。その瞬間の甘苦い震えが十和子は嫌ではなかった。

（嫌な思い出）彼にとって、小学校での日々は好んで思い出す人生のひとコマではない。

厭（いや）な言葉が瘡蓋（かさぶた）のようにこびりついて離れない

鮮血に滲む隙もない深い傷

血色悪いように見え、だらり垂れきっている

ないものが見える、禁断症状

（瘤の頂きが白髯の）間から初日の出のようにあざやかにあらわれ

(2年ぶりに認知症の父を訪ね、窓際に座る小さくなった父を見て)離れたところから見ると、人間というよりは、ネズミやリスの類に近い生き物のように見えた。あまり清潔とは言えないが、それなりにしたたかな知恵を具えた生き物だ。《…略…》父親だった。あるいは父親の残骸とでも言うべきものだった。二年の歳月が彼の身体から多くのものを持ち去っていた。まるで収税吏（しゅうぜいり）が、貧しい家から情け容赦もなく家財道具を奪っていくみたいに。《…略…》今目の前にいるのは、ただの抜け殻に過ぎない。温かみを残らず奪われてしまった空き屋に過ぎない。