すべてが見覚えのある風景だった。もう会うこともないと思っていたいとこと、この懐かしい風景の中を一緒に歩いていることが不思議だった。いとこがほんの小さな男の子だった頃の記憶と、学生寮の記憶が、水彩絵の具のように滑らかに混じり合っていた。

ミスを防ごうとメモするが、メモしたことを忘れる

どうしても、覚えのある気はするが、記憶をつかむ努力に疲れて、眼を反（そ）らした。

治郎吉との話をけろりと、忘れッ放して

二十七、八年も前で、ほとんど記憶の底に沈んでいて思い出しもしなかった

（記憶が失ったが母を安心させるために「お母さん。」と言う）「お母さん。」 　と私は言った。母がゆっくりうなずいた。嬉しそうに、心をこめたうなずきかたで。そして花嫁みたいに笑った。私は今、人がこの世で一番はじめに知る世にも暖かい単語を口にしたのに、何だか結婚詐欺 をしているちんぴらのように寒々しかった。頭が痛く、母という概念が濃縮された濃い濃い汁になって脳みそにしみていくような痛さだった。しかし同時にその発音は、左胸の下あたりにほんのりと熱い塊をつくった。何なんだろう、と思った。 　見れば真昼の病室、強烈に晴れた空が窓の外に見えた。私の記憶のようにすっからかんで、真っ青だった。

（思い出）光景は、頭の中にとても鮮やかに残っていて、それは僕にとっての大事な風景の一つになっている。

胸に、男の顔が遠い稲光のように明滅する

拭ったように忘れる

振り払っても焼きついて離れないメロディー