私は思わず大きな声をあげていた。 旦那の目鼻が顔の下のほうにずり下がっていたのだ。 瞬間、私の声に反応するかのように、目鼻は慌ててささっと動き、そして何事もなかったように元の位置へ戻った。私は息を吞んだ。《…略…》よくよく注意してみると、旦那の顔は、臨機応変に変化しているのだった。人といる時は、体裁を保ってきちんと旦那の顔をしているのだが、私と二人だけになると気が緩むらしく、目や鼻の位置がなんだか適当に置かれたようになる。一ミリや二ミリの誤差なので、よほど旦那に興味がなければ、気が付く者はいないだろう。似顔絵の輪郭が、水に溶けてぼやっとにじむような、曖昧模糊とした変化なのだ。 本人にも気付かせようと、顔が適当になっている時に、「ねえ、ヒゲが伸びてる。」とか、「鼻のところ確認したほうがいいよ。」などとあれこれ理由をつけて、鏡に向き合わせてみた。すると鏡に向き合った瞬間、なんとなくここら辺だろうと、いい加減に置かれていた目鼻が、ピタッと整列するように本来の位置に収まる。《…略…》旦那の顔がいちばん雑になるのは、ハイボール片手にバラエティ番組を観ている時だということは確かだった。
本谷 有希子 / 異類婚姻譚 ページ位置:24% 作品を確認(amazon)
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油断・隙を見せる
緊張感のない表情
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前後の文章を含んだ引用
......あげようって気にならないかねえ。その声を聞いているうち、この痰が誰のものなのか、またよく分からなくなってきて、私はたらたらと歩く旦那の顔を見やった。「あっ。」 私は思わず大きな声をあげていた。 旦那の目鼻が顔の下のほうにずり下がっていたのだ。 瞬間、私の声に反応するかのように、目鼻は慌ててささっと動き、そして何事もなかったように元の位置へ戻った。私は息を吞んだ。 サンちゃん、どうした? 驚く私に驚いて、旦那が逆に私をまじまじと見返してくる。その顔はいつもの、どこか魚に似た旦那の顔だった。さっきのは、一体なんだったのか。 私がいつまでも口を利けないでいると、旦那はやがて飽きてしまったように、「サンちゃん、劣化したなあ。」と私の顔を覗き込みながら、しみじみした口調で呟いた。それから私を置いて、ひとりでたらたら角を曲がって、消えた。 よくよく注意してみると、旦那の顔は、臨機応変に変化しているのだった。人といる時は、体裁を保ってきちんと旦那の顔をしているのだが、私と二人だけになると気が緩むらしく、目や鼻の位置がなんだか適当に置かれたようになる。一ミリや二ミリの誤差なので、よほど旦那に興味がなければ、気が付く者はいないだろう。似顔絵の輪郭が、水に溶けてぼやっとにじむような、曖昧模糊とした変化なのだ。 本人にも気付かせようと、顔が適当になっている時に、「ねえ、ヒゲが伸びてる。」とか、「鼻のところ確認したほうがいいよ。」などとあれこれ理由をつけて、鏡に向き合わせてみた。すると鏡に向き合った瞬間、なんとなくここら辺だろうと、いい加減に置かれていた目鼻が、ピタッと整列するように本来の位置に収まる。よくできたものだ。初めは薄気味悪かったが、毎日目にするうち次第に私のほうも慣れてしまった。 ただ時々、旦那の目鼻が、私の目鼻の間隔を真似ていることがあって、それにはどきりとさせられる。すぐ目の前にある顔を参照するのが楽なのだろうか。いずれにせよ、旦那の顔がいちばん雑になるのは、ハイボール片手にバラエティ番組を観ている時だということは確かだった。 元妻の様子がおかしい、と旦那が言い出したのは、私が風呂からあがって、食卓でパソコンに向かっている最中だった。 毎夜の日課となったライバルになりそうな冷蔵庫オー......
単語の意味
辺・畔(ほとり)
模糊・糢糊(もこ)
曖昧(あいまい)
辺・畔・・・1.すぐ近くの場所。近辺。そば。あたり。
2.陸地と水面が接しているところ。川や海などの水際。岸。きわ。
2.陸地と水面が接しているところ。川や海などの水際。岸。きわ。
模糊・糢糊・・・1.はっきり分からないさま。ぼんやりしているさま。あやふやなさま。
2.数の単位のひとつ。漠(ばく)の10分の1。1の10兆分の1。
2.数の単位のひとつ。漠(ばく)の10分の1。1の10兆分の1。
曖昧・・・はっきりしないこと。明確さに欠けるさま。「曖」も「昧」も訓読みで「くら(い)」と読める。
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油断・隙を見せるの表現・描写・類語(安心するのカテゴリ)の一覧 ランダム5
うっかり気を許すと、たとえば真綿をつかんだら、中にとがった鉄材があった、というようなことになる。
山田太一「飛ぶ夢をしばらく見ない」に収録 amazon
緊張や覚悟の巾着の、その口の紐が、わずかに緩みそうになった。
伊坂 幸太郎 / マリアビートル amazon
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緊張感のない表情の表現・描写・類語(顔のカテゴリ)の一覧 ランダム5
顔から力が抜けてる。こどもの頃みたいな顔してる。
吉本 ばなな「アムリタ(下) (新潮文庫)」に収録 amazon
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安心するの比喩表現の例文 一覧 ランダム5
頭の中で沸き返った凄い泡のようなものがようやく静まる
夏目 漱石 / 門 amazon
一月の元旦の朝のようにあらたまった気分
室生 犀星 / 杏っ子 amazon
一重の皮を剥がれて、そのあとの生々しい肉が空気の中に浮き出されたような清爽な感じ
岡本 かの子 / やがて五月に (1956年) amazon
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顔の比喩表現の例文 一覧 ランダム5
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「安心する」カテゴリからランダム5
行き場のない嘲笑に唇が歪む。
沼田 まほかる「彼女がその名を知らない鳥たち (幻冬舎文庫)」に収録 amazon
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顔面の皺が虫のように動いた。
小川洋子 / 揚羽蝶が壊れる時「完璧な病室 (中公文庫)」に収録 amazon
日本人にしてはひどくバタ臭い顔だと思った。眼と眼の間隔が狭く、しかも 眼窩 は相当に深く落ち凹んでいる。鼻梁は細く、細いまま長く伸びている。明らかに欧米人の血の混入した風貌と見て取った。
阿刀田 高 / ナポレオン狂「ナポレオン狂 (講談社文庫)」に収録 amazon
長いひき肉のようなすじのある顔
野間 宏「真空地帯(新潮文庫)」に収録 amazon
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