電話に出た若い男に名前を告げると、「ちょっとお待ちください」という声とともにオルゴールの「カノン」が流れ出した。

（保留音）受話器の向こうから途切れ途切れのエーデルワイスが聞こえてくる

「待ってね。」 　保留の音楽が、 焦りをかきたてた。

「尾崎さん」と別の看護婦を呼んだ。あとは遠くなった。

（クレームの電話が保留になる）責任者の方から折り返し電話させていただきますので」 「いいえ。このまま待ってますから、今、お願いします」 〈今〉を強調してきっぱり言い放つ。 　待っている間、走る電車に乗っているときのようなニュートラルな安定を感じる。《…略…》保留のメロディに合わせて鼻歌を歌う。このままいつまでも保留の状態でいたい。

握りしめていた電話を充電器に戻し

（電話の内容に立て続けに驚く）「どうして？」と僕はまたびっくりして言った。世界中の女が僕をびっくりさせるために電話をかけてきているみたいだ。

彼女は首を振った。首を振っている気配が電話口から伝わってきた。

（受話器の雑音）線香花火のような雑音をずっと鳴らし続けている

受話器を握る手に力が入る気配まで伝わってくる