「この長い奴へツユを三分一 つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛 んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉 を滑 り込むところがねうちだよ」と思い切って箸 を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。左手 に受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんに浸 すと、アーキミジスの理論によって、蕎麦の浸 った分量だけツユの嵩 が増してくる。ところが茶碗の中には元からツユが八分目這入 っているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分 も浸 らない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。迷亭の箸は茶碗を去 る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでも卸 せばツユが溢 れるばかりである。迷亭もここに至って少し蹰躇 の体 であったが、たちまち脱兎 の勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間 もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛 が一二度上下 へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。
夏目漱石 / 吾輩は猫である ページ位置:44% 作品を確認(青空文庫)
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そば
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前後の文章を含んだ引用
......めんしている。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長い奴へツユを三分一 つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛 んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉 を滑 り込むところがねうちだよ」と思い切って箸 を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。左手 に受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんに浸 すと、アーキミジスの理論によって、蕎麦の浸 った分量だけツユの嵩 が増してくる。ところが茶碗の中には元からツユが八分目這入 っているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分 も浸 らない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。迷亭の箸は茶碗を去 る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでも卸 せばツユが溢 れるばかりである。迷亭もここに至って少し蹰躇 の体 であったが、たちまち脱兎 の勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間 もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛 が一二度上下 へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴眼尻 から頬へ流れ出した。山葵 が利 いたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よく......
単語の意味
咽喉(いんこう・のど)
脱兎(だっと)
体(からだ)
左手(ひだりて)
暫く・姑く・須臾(しばらく)
咽喉・・・のどのこと。
脱兎・・・追われて、逃げて行くウサギ。とても速いことのたとえ。
体・・・頭・胴・手足など、肉体全体をまとめていう言葉。頭からつま先までの肉体の全部。身体。体躯。五体。健康。体力。
左手・・・1.左の手。 ⇔ 右手(みぎて)。
2.左の方向。左側。
2.左の方向。左側。
暫く・姑く・須臾・・・1.長いと感じるほどではないが、すぐともいえないほどの時間。ちょっとの間。一時的。
2.ちょっと待った!
2.ちょっと待った!
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