氷の溶けたグラス

グラスに唇のかたちの脂が付着している。その上にさらに脂っぽい唇を押し当ててビールを流し込んで

氷が溶け、グラスの周りには水滴がついて、紙のコースターは濡れてふくらんでいる

内側に毒が塗られたワイングラスは曇って汚くなっている

コップが陽にすけて、冷たい日本茶のみどりが床にきれいに揺れた。

現場は警察官と野次馬でごった返している

七、八人の捜査員が道幅一杯に広がってしゃがみ込み、地面すれすれに顔を近づけていた。 煙草 の吸い殻、毛髪、その他、この事態の原因の特定につながる微物の発見に努めているのだ。

腹に刺さったナイフが、呼吸とともに上下している

検視官たちが遺体の現場検視を行っていた。ブルーの制服姿の鑑識課員たちも作業を続けている。カメラのフラッシュが繰り返し 焚かれ、遺体近くの靴跡に 石膏 を流し込んでいる者もいる。

ビルの入口に貼られた立入禁止の黄色いテープは、ここが事件現場であることを告げている

ビルの入口に貼られた立入禁止の黄色いテープは、ここが事件現場であることを告げている

炎が、生きているように黄金色に光りながら家をのむ

深い疲労が海のように全身をおしつつむ

（世間から忘れさられる象消滅のニュース）象の消滅から一週間経った頃からはその記事も目に見えて減少し、ついには殆んど目につかないまでになってしまった。週刊誌もいくつか興味本位の記事を載せ、中には霊能者までひっぱりだしたものもあったが、それもやがては尻すぼみに終ってしまった。人々は象の事件を数多くの同僚を有する「解明不能の謎」というカテゴリーの中に押しこもうとしているように見えた。年老いた象が一頭と年老いた飼育係が一人この土地から消滅してしまったところで、社会の趨勢には何の影響もないのだ。地球は単調な回転をつづけ、政治家はさしてあてになりそうもない声明を発表しつづけ、人々はあくびをしながら会社にでかけ、子供たちは受験勉強をつづけていた。寄せては返す果てしない日常の波の中で、行方不明になった一頭の象に対する興味がいつまでもつづくわけはない。そのようにしてこれといって特徴のない何ヵ月かが窓の外を行進していく疲弊した軍隊のように過ぎ去っていった。

（三人の人質にハンバーガーを作らせる）三人はハンバーガーを作りながら、ときどき銃口にちらりと目をやった。僕はときどき左手の小指の先で両方の耳を搔いた。僕は緊張するときまって耳の穴がかゆくなるのだ。僕がスキー・マスクの上から耳の穴を搔くと、銃身が不安定に上下に揺れ、それが三人の気持をいくぶんかき乱しているようだった。

（小説を書く）戦国時代を背景にした小説……ことに、戦場のシーンを書きつづけているときなどは、威張り返って荒々しい挙動をするそうだし、また〔鬼平氏〕が酒なぞをのんでいるところを書いているときは、二匹の飼猫にもやさしいそうだ。 　前にものべたことだが、それだけに一つの仕事から別の仕事へ移るときの気分転換にはまったく苦労する。 　理論的に人物を描くことが不得手な私は、できぬまでも、それぞれの人物になりきろうとする。その気分が醸成されるまでは、どうしてもペンがうごいてくれぬ。

コップを少し傾けて、表面張力で丸みを帯びた水の縁に目を留めた。

新らしい筆記帳の使いはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨ててしまいたくなるのです。

じゅうじゅうと音をさせて煙草を呑（の）んでいた

ブランド物は一種の宗教で、信者以外には、まったく価値がない。