（黒電話）狭くて急な階段の裏にそれは設置された。 　形容しがたい丸み、暗号めいたダイヤル、耳にフィットするよう計算された受話器のカーブ、可愛らしげにクルクルとカールするコード。そうした何もかもがどこかしらおもちゃめいていたが、僕は最初からそれが、ただものでないことにちゃんと気づいていた。 　とにかくその黒色は特別だった。一点の濁りもなく、濃密で、圧倒的で、気高くさえあった。両手に載るほどの大きさなのに、何を 企んでいるのか分からないふてぶてしさと思慮深さを併せ持っていた。そこに一つ黒い 塊 があるだけで、階段裏の薄暗さが奥行きを増すようだった。

（ダイヤル式の電話）三日月形の留め金のところまで引き絞ったダイヤルが元に戻る時の、小鳥がつぶやくような音を指先に感じながら

真夜中に電話をかけてくるのはお願いだからやめてほしいと、はっきり頼んだ。収穫前にイナゴの群れを畑に送りつけないでくれと、神さまにお願いする農夫のように。

市外局番がやけに長い電話番号

小さな雨除けだけがついた公衆電話

ル、ルン。 　黒い電話機がベルを鳴らした。

電話をかけたら留守番電話が、 「旅行中です。メッセージをどうぞ。」 　と告げるだけだった。

（かかってくるかもしれない）電話というのは置き去りにされた時限爆弾みたいに思える

電話はもう一度生物のように鳴り始めた。

受話器をとおして沈黙が新月のように部屋にしのびこんできた。息づかいひとつ聞こえなかった。耳が痛くなりそうな完全な沈黙だった。