人によっては合わせ鏡のようにただひたすら展開するこの記憶の力に 翻弄 されて発狂するような局面なんだろう

まっ黒な過去のドアがかすかにきしんで、最初の曙光が射しこんでくる

女の人が台所で立ち働いていると私はいつも、何かを思い出しそうな気持ちをもよおす。何か悲しくて、胸を締めつけること。きっと死に関係あること。生まれてきたことにも、きっと。

乃武夫が、 「クジラオカ」 　と 呟いた。 　なにかを 反芻 するような、意味のこもったいい方に聞えた。

白紙に明礬水（みょうばんすい）で書いた文字が炙（あぶ）り出されて来るように、昨夜、妻の言った言葉が、私の頭に次第にはっきり蘇って来る。

その玄関を見ると描くように思い出された。

「おまえは、十四年前に起きた尾畑守くんの誘拐事件を覚えておるか」 　重藤は瞬時に考えをめぐらせ、脳裏の奥に答えを探り当てた。

糸をたぐるように過去の出来事を思い出す

記憶の底から喚（よ）び起す。

かすかな記憶、その、目の前でビールを飲む人のぼやけた映像をどんどんクリアーになるまで集中してつきつめていったら、ある笑顔に行き当たったのだ。

父が亡くなったのは二十六歳の時よ。今の健太郎と同じなのよ」 　宮部久蔵の履歴を頭の中で繰った。そしてあらためて、若くして亡くなったのだなと思った。

（死に際、走馬灯のように）頭に穴が開いたみたいに記憶が溢れ出てくる

あの頃の私にもいろいろなことがあったんだなあ、と私は思った。十五年以上前のこととなると、思い出はひとつのトーンの中に沈んでいた。

頭の奥の十五年も前の記憶が暑さのために溶けはじめて、だらしなく鼻汁のように流れ出て来る

「昔のこと、思い出したりもされないんですか？」 「人間関係も断って、その土地から離れたら、自然と忘れていきますよ。──いや、ただ忘れようとしても、忘れられないですよ、嫌な過去がある人は。だから、他人の過去で上書きするんですよ。消せないなら、わからなくなるまで、上から書くんです。」