ふっと目を閉じたくなるほど、強く、甘く、大気が花の香りで満ちている春

桜が咲き始める季節だった。ぬくもりを帯びた風が頰を撫でていった。

眠たげな甘さを含んだ四月の海

地面からも、屋根からも、春の記憶を新たにすべき湿気がむらむらと立ち上る

風に春の朝のうそ寒い湿り気が残る

照りつける陽光から存分に栄養を吸った稲が、青々と地を埋め尽くす夏

地獄の釜で煮られているような夏

初夏の緑が目にまぶしい

自動ドアが開いた瞬間、地からわいてくるような熱気がまとわりつく。

若者にとって夏の終わりくらい悲しいことはない

花火は一滴一滴が息を呑むほど煌いて、大輪の雫はたちまち消えてしまった。

日盛りの夏の陽がかっと白い

夏の光はいきなり目の前で白い爆発を起こしたみたいに明るい

コンクリートの床に初夏の光がまぶしいほど照りかえる

木綿の袋越しに見えるホタルの鈍い光

生命が地表に顔を出し、若い実を結び、人々がほっと一息ついた頃

春特有の気だるい空気

とにかく、春の勢いはすごい。これまではモノクロにくすんでいた画面に、一瞬で色がつくみたいだ。どんな特撮技術を使っても、この鮮やかな景色の変化は表現できないだろう。 　変化は景色だけじゃなく、においにも音にも表れる。冬のあいだは硬く冷たく流れる川が、草木が芽吹きはじめるのとほぼ同時に、さらさらと優しい音に変わる。水は澄みわたって、甘い香りがする。金色に輝く川底の砂に、透明なメダカの群の影が映っているのを発見し、俺は思わず声を上げてしまった。 　なんかこう、春はすべてにメリハリがつくって感じだ。繁ばあちゃんの大群に包囲されてるのが冬だとしたら、百人の直紀さんがバイクに乗って、山を駆けめぐってるのが春だ。張りがあって騒々しい。

桜の花はすぐに散るから愛しいのです。消えていくほうがよほど良いというのも多いのではないでしょうか。別れた恋人との思い出、大雨の後の川の濁流、天才が一夜限りに吹いたアルトサックスのアドリブ、友人同士のその場限りの会話、一瞬にして消えていくから大切なのです。

春の闇の中の桜の花は、まるで皮膚を裂いてはじけ出てきた爛れた肉のよう