三月の半ば頃私はよく山を蔽 った杉林から山火事のような煙が起こるのを見た。それは日のよくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であった。しかし今すでに受精を終わった杉林の上には褐色がかった落ちつきができていた。瓦斯 体のような若芽に煙っていた欅 や楢 の緑にももう初夏らしい落ちつきがあった。闌 けた若葉がおのおの影を持ち瓦斯体のような夢はもうなかった。ただ溪間にむくむくと茂っている椎 の樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。
梶井基次郎 / 蒼穹 ページ位置:35% 作品を確認(青空文庫)
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晩春・初夏
花粉
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前後の文章を含んだ引用
......へ落ちてゆくのだったが、午後早い日は今やっと一つの溪を渡ったばかりで、溪と溪との間に立っている山のこちら側が死のような影に安らっているのがことさら眼立っていた。三月の半ば頃私はよく山を蔽 った杉林から山火事のような煙が起こるのを見た。それは日のよくあたる風の吹く、ほどよい湿度と温度が幸いする日、杉林が一斉に飛ばす花粉の煙であった。しかし今すでに受精を終わった杉林の上には褐色がかった落ちつきができていた。瓦斯 体のような若芽に煙っていた欅 や楢 の緑にももう初夏らしい落ちつきがあった。闌 けた若葉がおのおの影を持ち瓦斯体のような夢はもうなかった。ただ溪間にむくむくと茂っている椎 の樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。 そんな風景のうえを遊んでいた私の眼は、二つの溪をへだてた杉山の上から青空の透いて見えるほど淡い雲が絶えず湧いて来るのを見たとき、不知不識 そのなかへ吸い込まれて......
単語の意味
煙る・烟る(けむる・けぶる)
闌ける(たける)
褐色(かっしょく)
ガス体・瓦斯体(がすたい)
初夏(しょか・はつなつ)
若葉(わかば)
勝色・褐色・搗色(かちいろ)
煙る・烟る・・・霧やかすみなどで辺りがぼやける。白煙や色のある煙がもくもくと出て、辺り一面に広がる様子。
闌ける・・・行事や季節などで一番盛り上がった時期になる。たけなわになる。
褐色・・・黒色を帯びた茶色。
ガス体・瓦斯体・・・気体のこと。
初夏・・・ 夏の初め。陰暦4月の異名。孟夏(もうか)。首夏(しゅか)。
若葉・・・芽を出したばかりの葉。とくに、初夏の木々のみずみずしい葉。新葉(しんば)。
勝色・褐色・搗色・・・1.真っ黒に近い、濃い藍色。深藍色。「勝色」として縁起がいいとされ、鎌倉時代の武士に愛好された色。
2.襲(かさね[=平安時代の衣服])の色目(いろめ)の名前。表裏ともに萌葱(もえぎ)色。
2.襲(かさね[=平安時代の衣服])の色目(いろめ)の名前。表裏ともに萌葱(もえぎ)色。
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晩春・初夏の表現・描写・類語(春のカテゴリ)の一覧 ランダム5
梶井基次郎 / 路上
一雨ごとに、芒 はのびて、もう武蔵野は、夏めいてくる。
吉川英治 / 野槌の百
初夏の陽射しが眩しい六月最初の月曜日
池井戸潤「下町ロケット (小学館文庫)」に収録 amazon
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山で仕事をしていると、花粉がもわもわ降ってくる。降り注ぐ花粉で、山の斜面は真っ黄色だ。作業が終わる夕方には、俺たちは衣をまぶして揚げるばかりになったフライみたいなありさまだった。
三浦 しをん「神去なあなあ日常 (徳間文庫)」に収録 amazon
軟らかな風が涼しく吹いて松の花粉が埃のように湿った土を掩うて
長塚 節 / 土 amazon
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街は寒く、人々はコートを着込んでいたが、陽ざしにはかすかな春の匂いがした。まるで何か新しくて甘いものみたいに、ほんの少しだけ光っていた。
吉本 ばなな「アムリタ(下) (新潮文庫)」に収録 amazon
一雨ごとに、芒 はのびて、もう武蔵野は、夏めいてくる。
吉川英治 / 野槌の百
全身の枝から桃色の滝を流すような姿のシダレザクラ
伊坂 幸太郎 / アイネクライネナハトムジーク amazon
「夏」カテゴリからランダム5
炎とも電気とも星や月や太陽ともちがう、これまで見たことのない色と質感の光だった。輪郭があやふやで、触れたときの温度を想像しにくい。冷たいようでも、火傷しそうでもある。そういう光が、ふわふわ漂ったり静止したりしながら、田んぼのあちこちに灯っている。夜を少しだけ照らしだす。
三浦 しをん「神去なあなあ日常 (徳間文庫)」に収録 amazon
夏の夕方の明るさは砂上の淡水のような肌目のこまかさで空気に溶け込み
岡本 かの子 / やがて五月に (1956年) amazon
「植物」カテゴリからランダム5
茂るがままの枝は、それらの薔薇の木の上へのさばって屋根のようになっていた。
佐藤 春夫 / 田園の憂鬱 amazon
陽にあたって青葉の音が色が雨のように薫じているところ
林芙美子 / 新版 放浪記
風はなく、その枝は地面に向けてひっそりと垂れ下がっていた。とりとめのない思索に耽る人のように。
村上 春樹 / 1Q84 BOOK 1 amazon
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