(カメラ越しに少女に見つめられて)牛河はその少女から目をそらせることができなくなっていた。世界全体がそこでいったん動きを止められたみたいだ。風もなく、音は空気を震わせることをやめていた。(《…略…》少女は去ったが)牛河はなぜか床から腰を上げられなかった。身体が痺れたようになっている。ファインダー越しに送り込まれた彼女の鋭い視線が、行動を起こすのに必要とされる力を、牛河の身体からそっくり奪っていったようだ。(《…略…》少女が見えなくなると、)床を這うようにカメラの前を離れ、壁にもたれた。そして身体に正常な力が戻るのを待った。セブンスターを口にくわえ、ライターで火をつけた。煙を深々と吸い込んだ。しかし煙草には味がなかった。力はなかなか回復しなかった。いつまでも手脚に痺れが残っていた。そして気がつくと、彼の中には奇妙なスペースが生じていた。それは純粋な空洞だった。その空間が意味するのはただ欠落であり、おそらくは無だった。牛河は自分自身の内部に生まれたその見覚えのない空洞に腰を下ろしたまま、そこから立ち上がることができなかった。胸に鈍い痛みが感じられたが、正確に表現すればそれは痛みではない。欠落と非欠落との接点に生じる圧力差のようなものだ。彼はその空洞の底に長いあいだ座り込んでいた。壁にもたれ、味のない煙草を吸っていた。そのスペースはさっき出て行った少女があとに残していったものだった。《…略…》少女に、全身を文字通り揺さぶられていることに気づいた。彼女のみじろぎひとつしない深く鋭い視線によって、身体のみならず牛河という存在そのものが根本から揺さぶられているのだ。
村上 春樹 / 1Q84 BOOK 3 作品を確認(amazon)
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単語の意味
痺れる(しびれる)
身体(しんたい)
視線(しせん)
胸(むね)
腰(こし)
痺れる・・・ビリビリとした刺激を感じる。また、感動して感覚的にビリビリと感じて、興奮したり魅了されたりする。
身体・・・人のからだ。肉体。
視線・・・目と、目が見ようとしているモノとを結ぶ線。目が見ている方向。見つめている方向。
腰・・・1.胴体の下の方の部分で、上体と下肢(かし)をつなぐ部分。座る姿勢をとったとき、骨盤あたりの折り曲がる部分を漠然という。ウエスト。
2.衣服やはかまの腰にあたる部分。
3.あらゆる物の、腰に相当する部分。中ほどより少し下の部分。
4.紙や布などの、しなやかで破れにくい性質。
5.餅(もち)や粉などの、粘りや弾力。
6.刀や袴など、腰につけるものを数えるときの単位。「刀ひと腰」「袴ひと腰」
7.何かをする際の姿勢や構え。「及び腰」「けんか腰」など。
2.衣服やはかまの腰にあたる部分。
3.あらゆる物の、腰に相当する部分。中ほどより少し下の部分。
4.紙や布などの、しなやかで破れにくい性質。
5.餅(もち)や粉などの、粘りや弾力。
6.刀や袴など、腰につけるものを数えるときの単位。「刀ひと腰」「袴ひと腰」
7.何かをする際の姿勢や構え。「及び腰」「けんか腰」など。
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