「待ってね。」 　保留の音楽が、 焦りをかきたてた。

（保留音）受話器の向こうから途切れ途切れのエーデルワイスが聞こえてくる

「尾崎さん」と別の看護婦を呼んだ。あとは遠くなった。

（クレームの電話が保留になる）責任者の方から折り返し電話させていただきますので」 「いいえ。このまま待ってますから、今、お願いします」 〈今〉を強調してきっぱり言い放つ。 　待っている間、走る電車に乗っているときのようなニュートラルな安定を感じる。《…略…》保留のメロディに合わせて鼻歌を歌う。このままいつまでも保留の状態でいたい。

電話に出た若い男に名前を告げると、「ちょっとお待ちください」という声とともにオルゴールの「カノン」が流れ出した。

電話のベルは十五回鳴って、そして切れた。ベルが死んでしまうと、まるで重力が均衡を失ってしまったような深い沈黙があたりに充ちた。氷河にとじこめられてしまった五万年前の石のような深く冷たい沈黙だった。十五回の電話のベルが僕のまわりの空気の質をすっかり変えてしまったのだ。

疎ましい気持ちも一緒に閉じ込めるようにして携帯をたたむ

ダイヤルを回し呼び出し音を十回鳴らしたが、誰も出ない

小松からかかってきた電話はなんとなくそれとわかる。ベルがせわしなく神経質な鳴り方をするのだ。まるで指先で机の表面をとんとんと執拗に叩き続けているみたいに。

「最悪ぅ。」 　と遠いラインの向こうで栄子が言った。