近所の百姓たちの家族が入浴に来ているのだろうか、湯をながす音、 桶 をおく音がかすかに聞えてきた。それはひどく 倖しあわ せな音のように私には思われた。

新しい銭湯というのはなぜか気持ちがつるつるして気分もよく

二人で銭湯へ行く。二人の小さい裸体が朝の鏡に写っている。マイヨールの彫刻のような二人の姿が、二匹の猫がたわむれているようだ。

（銭湯の）番台ではしおれたじいさんが、つまらなそうに小型テレビを観ている。番台の横に置いてあるアサガオまで、じいさんの真似をしてしおれている。

小さい湯舟の湯は、薬湯になっており、アオミドロやクンショウモなどが浮遊している、季節はずれのプールみたいな色なので、底が全く見えずに、中央からは何やらポコポコと奇怪な気泡が発生していた。

（痩せた老人）もともと 瘦 せていたが、晩年は脂気も水気もなくなって、へし折ればペキンと音がしそうであった。廊下ですれちがうと、形も匂いも父は一本の 煙管きせる であった。

歯のないお婆さんはきんちゃくをしぼったような口をして

家族に負担をかけながら残り少ない年月を生きるしかない老人

萎れた植物を連想させる

(2年ぶりに認知症の父を訪ね、窓際に座る小さくなった父を見て)離れたところから見ると、人間というよりは、ネズミやリスの類に近い生き物のように見えた。あまり清潔とは言えないが、それなりにしたたかな知恵を具えた生き物だ。《…略…》父親だった。あるいは父親の残骸とでも言うべきものだった。二年の歳月が彼の身体から多くのものを持ち去っていた。まるで収税吏（しゅうぜいり）が、貧しい家から情け容赦もなく家財道具を奪っていくみたいに。《…略…》今目の前にいるのは、ただの抜け殻に過ぎない。温かみを残らず奪われてしまった空き屋に過ぎない。

（自立）自立とは、結婚とか独り暮らしとか、そういうことではないのだ。全然違う。結婚して家を出ていて子供がいても親の影を背負っている人を大勢見た。それが悪いということはないけれど、とにかく自立ではないのだと思う。

皺がれた老人の声

ひとの死を自分のこととして感動し始める年齢に達した女

女の年齢が牙をむき出して主（あるじ）に挑みかかる

こんな若い人達ばかりの間に混って芝居なんかしているのが、気の毒に思えて仕方がなかった。

（旅館）磨き込まれた廊下

夏の終わりの閑散とした駅に降りる

診察室をのぞくことができた。先生も看護婦もいなかった。そこは放課後の理科室のように薄暗かった。

貨物専用駅のだだっ広い構内

コーヒー一杯の値段は安くないが、席と席とのあいだに距離がとられているので、他人の耳を気にせずに話をすることができる。