(電車内でとじた目をあけると臭いホームレスが甘い香りの女に変っている不思議な体験)「私がこういう姿でも帰りたくない?」 彼が言った。目を閉じていてもその音の変化ははっきりわかった。ちょうどテープを早回ししたように、そのせりふの途中でぎゅうっと音が高くゆがんだ。空間ごとゆがんだように、頭がくらっとした。そして、その恐ろしい臭気がふっと消え、何か甘い……花のような、ごく薄い香水の 匂いのような香りがじょじょに感じられるようになった。目を閉じているから匂いがよくわかった。それは女の 肌 の匂いと、生花の混じったようなかすかに澄んだ……誘惑にかられて見てしまった。 そして、心臓が止まりそうになった。 私の隣にはなぜか女がいた。あわてて両隣の車両を見回したが、人々はまるで異空間にいるように遠く、こちらを見ず、車両と車両の間には透明な壁があるかのように皆さっきまでと同じ疲れた顔で電車に揺られているのだった。何が起こったのだろう、このチェンジはいつの間になされたのだろう、と私は再び女を見た。
吉本 ばなな / 新婚さん「とかげ (新潮文庫)」に収録 ページ位置:13% 作品を確認(amazon)
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幻・錯覚
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前後の文章を含んだ引用
......くないわけは本当のところ何だろう。」 私は目を閉じたままでいた。さすがに私に話しかけていることがわかっていたから。電車の行く規則的な音がやたらに大きく聞こえた。「私がこういう姿でも帰りたくない?」 彼が言った。目を閉じていてもその音の変化ははっきりわかった。ちょうどテープを早回ししたように、そのせりふの途中でぎゅうっと音が高くゆがんだ。空間ごとゆがんだように、頭がくらっとした。そして、その恐ろしい臭気がふっと消え、何か甘い……花のような、ごく薄い香水の匂いのような香りがじょじょに感じられるようになった。目を閉じているから匂いがよくわかった。それは女の肌の匂いと、生花の混じったようなかすかに澄んだ……誘惑にかられて見てしまった。 そして、心臓が止まりそうになった。 私の隣にはなぜか女がいた。あわてて両隣の車両を見回したが、人々はまるで異空間にいるように遠く、こちらを見ず、車両と車両の間には透明な壁があるかのように皆さっきまでと同じ疲れた顔で電車に揺られているのだった。何が起こったのだろう、このチェンジはいつの間になされたのだろう、と私は再び女を見た。 つんと前を向いて座っている。 国籍もわからない。とび色の瞳に、長い茶の髪。黒いワンピース。すらりと伸びた足に黒いエナメルのハイヒール。確かに私の知っている顔だ......
単語の意味
香水(こうすい)
姿・形・容・態・躰・體・軆・骵(すがた)
香水・・・いい香りのする水。
姿・形・容・態・躰・體・軆・骵・・・1.身体の形。からだつき。人のからだの格好。衣服をつけた外見のようす。
2.身なり。容姿。
3.目に見える、人の形。人の存在。
4.物の、それ自体の形。物一つ一つの全体的な印象。
5.物事のありさまや状態。事の内容を示す様相。
以下の文字は訓読みで、「すがた」と読める。
[形・容・態・躰・軆・體・骵]
2.身なり。容姿。
3.目に見える、人の形。人の存在。
4.物の、それ自体の形。物一つ一つの全体的な印象。
5.物事のありさまや状態。事の内容を示す様相。
以下の文字は訓読みで、「すがた」と読める。
[形・容・態・躰・軆・體・骵]
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幻・錯覚の表現・描写・類語(ものの性質・特徴のカテゴリ)の一覧 ランダム5
目の前には、さまざまな幻が、瀕死 の彼をあざけるように、ひっきりなく徂来 する
芥川龍之介 / 偸盗
その本の群立が、大きい目玉をグリグリさせて私を嗤 っているように見える。
林芙美子 / 新版 放浪記
波が退くように虚空の幻が一瞬にして消えうせる
中村 真一郎 / 遠隔感応 amazon
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えたいの知れない想い出が湧いて来る。
梶井基次郎 / 城のある町にて
幽霊ばなしよりもずっと非現実的な感じがした。
吉本 ばなな「アムリタ〈上〉 (新潮文庫)」に収録 amazon
魔物に化されたような、夢みたいな話
松本 清張 / 青のある断層「松本清張ジャンル別作品集(3) 美術ミステリ (双葉文庫)」に収録 amazon
(現実感なくぎこちなく歩く)身体が浮き上がっている感じはまだ続いている。駅からここまで歩く間も、靴の底と地面との間が三センチほどあいているようでどこか心もとない。不可解な劇中劇を強制的に演じさせられている大根役者みたいだ。
沼田 まほかる「彼女がその名を知らない鳥たち (幻冬舎文庫)」に収録 amazon
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