(ノートのページいっぱいに書かれた数式)私はページを撫でた。博士の書き記した数式が指先に触れるのを感じた。数式たちが連なり合い、一本の鎖となって足元に長く垂れ下っていた。私は一段一段、鎖を降りてゆく。風景は消え去り、光は射さず、音さえ届かないが怖くなどない。博士の示した道標は、なにものにも侵されない永遠の正しさを備えていると、よく知っているから。 自分の立っている地面が、更に深い世界によって支えられているのを感じ、私は驚嘆する。そこへ行くには数字の鎖をたどるより他に方法がなく、言葉は無意味で、やがて自分が深みに向かおうとしているのか、高みを目指そうとしているのか、区別がつかなくなってくる。ただ一つはっきりしているのは、鎖の先が真実につながっているということだけだ。 私は最後の一冊の、最後のページをめくる。不意に鎖は途切れ、私は暗闇の中に取り残される。もうあと少し歩みを進めれば、目指すものはすぐそこにあるかもしれないのに、どんなに目を凝らしても、次に踏み締めるべき数字はどこにも見つけられない。
小川洋子「博士の愛した数式 (新潮文庫)」に収録 ページ位置:44% 作品を確認(amazon)
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前後の文章を含んだ引用
......闘していた。 午後二時、図書館の前で何があったのだろう。Nとは誰だろうか。その待ち合わせが、博士にとって幸福なものであってほしいと、祈らずにはいられなかった。 私はページを撫でた。博士の書き記した数式が指先に触れるのを感じた。数式たちが連なり合い、一本の鎖となって足元に長く垂れ下っていた。私は一段一段、鎖を降りてゆく。風景は消え去り、光は射さず、音さえ届かないが怖くなどない。博士の示した道標は、なにものにも侵されない永遠の正しさを備えていると、よく知っているから。 自分の立っている地面が、更に深い世界によって支えられているのを感じ、私は驚嘆する。そこへ行くには数字の鎖をたどるより他に方法がなく、言葉は無意味で、やがて自分が深みに向かおうとしているのか、高みを目指そうとしているのか、区別がつかなくなってくる。ただ一つはっきりしているのは、鎖の先が真実につながっているということだけだ。 私は最後の一冊の、最後のページをめくる。不意に鎖は途切れ、私は暗闇の中に取り残される。もうあと少し歩みを進めれば、目指すものはすぐそこにあるかもしれないのに、どんなに目を凝らしても、次に踏み締めるべき数字はどこにも見つけられない。「ちょっとすまないが、君」 私を呼ぶ博士の声が、洗面所から聞こえてきた。「忙しいところ、すまないんだがね、君」「はい」 私はすべてを元あった場所に仕舞った。それ......
単語の意味
驚嘆・驚歎(きょうたん)
風景(ふうけい)
指先(ゆびさき)
道標・道導(みちしるべ)
暗闇(くらやみ)
永遠(えいえん・とわ)
驚嘆・驚歎・・・素晴らしい出来事に、驚いて感心すること。
風景・・・自然の景色。目の前に広がる眺め。その場の情景。
指先・・・手や足の、指の先端。指の先っぽ。指頭(しとう)。指端(したん)。
道標・道導・・・1.道の方向や距離などを示した標識。道標(どうひょう)。
2.1が転じて、物事の手引きとなるもの。
3.斑猫・斑蝥(はんみょう)の別名。人が近づくと逃げるが、前方に少し飛んですぐに止まる習性が、道を教えるために招いているように見えるから。「みちおしえ」とも。
2.1が転じて、物事の手引きとなるもの。
3.斑猫・斑蝥(はんみょう)の別名。人が近づくと逃げるが、前方に少し飛んですぐに止まる習性が、道を教えるために招いているように見えるから。「みちおしえ」とも。
永遠・・・ある状態が果てしなく続くこと。物事が変化しないこと。無窮(むきゅう)。永久(えいきゅう)。
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数式の表現・描写・類語(学問のカテゴリ)の一覧 ランダム5
(足元に書き付けた難解な数式)今、私たちの足元にだけ、宇宙の秘密が透けて浮かび上がっているかのようだった。神様の手帳が、私たちの足元で開かれているのだった。
小川洋子「博士の愛した数式 (新潮文庫)」に収録 amazon
ここにある一ページ一ページが、宇宙の秘密を解く設計図なのだろうか。
小川洋子「博士の愛した数式 (新潮文庫)」に収録 amazon
(ノートのページいっぱいに書かれた数式)私はページを撫でた。博士の書き記した数式が指先に触れるのを感じた。数式たちが連なり合い、一本の鎖となって足元に長く垂れ下っていた。私は一段一段、鎖を降りてゆく。風景は消え去り、光は射さず、音さえ届かないが怖くなどない。博士の示した道標は、なにものにも侵されない永遠の正しさを備えていると、よく知っているから。 自分の立っている地面が、更に深い世界によって支えられているのを感じ、私は驚嘆する。そこへ行くには数字の鎖をたどるより他に方法がなく、言葉は無意味で、やがて自分が深みに向かおうとしているのか、高みを目指そうとしているのか、区別がつかなくなってくる。ただ一つはっきりしているのは、鎖の先が真実につながっているということだけだ。 私は最後の一冊の、最後のページをめくる。不意に鎖は途切れ、私は暗闇の中に取り残される。もうあと少し歩みを進めれば、目指すものはすぐそこにあるかもしれないのに、どんなに目を凝らしても、次に踏み締めるべき数字はどこにも見つけられない。
小川洋子「博士の愛した数式 (新潮文庫)」に収録 amazon
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水入れから水を注ぎ、墨を真直ぐに立てて静かに動かし、筆を浸す。そんな一つ一つの仕草が間のびするくらいゆったりとしていて、厳かな儀式めいている。
小川洋子 / ダイヴィング・プール「完璧な病室 (中公文庫)」に収録 amazon
『科学の悲劇は、美しい仮説が醜い現実で覆されること』
伊坂 幸太郎「陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)」に収録 amazon
(ノートのページいっぱいに書かれた数式)私はページを撫でた。博士の書き記した数式が指先に触れるのを感じた。数式たちが連なり合い、一本の鎖となって足元に長く垂れ下っていた。私は一段一段、鎖を降りてゆく。風景は消え去り、光は射さず、音さえ届かないが怖くなどない。博士の示した道標は、なにものにも侵されない永遠の正しさを備えていると、よく知っているから。 自分の立っている地面が、更に深い世界によって支えられているのを感じ、私は驚嘆する。そこへ行くには数字の鎖をたどるより他に方法がなく、言葉は無意味で、やがて自分が深みに向かおうとしているのか、高みを目指そうとしているのか、区別がつかなくなってくる。ただ一つはっきりしているのは、鎖の先が真実につながっているということだけだ。 私は最後の一冊の、最後のページをめくる。不意に鎖は途切れ、私は暗闇の中に取り残される。もうあと少し歩みを進めれば、目指すものはすぐそこにあるかもしれないのに、どんなに目を凝らしても、次に踏み締めるべき数字はどこにも見つけられない。
小川洋子「博士の愛した数式 (新潮文庫)」に収録 amazon
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