（上の空で声が聞こえていない）プールの水底で聞いている声のように、意味をなさない遠いこだまでしかなかった

ぼんやり床（ゆか）の上ばかり見ていた

神がかりが離れたようにきょとんとなって

伸子は、食事ができなかった。一日、感動に漂って一人坐っていた。その夜、努力したが眠れなかった。涙が出る以上の緊張が精神を掴んだ。

その声は僕の耳をすり抜けていくだけだった。別のことを考えていた。

午後の灼熱（しゃくねつ）の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈（めまい）を感じ

（その詩は）まるでもう子供の一文菓子のようにロマンチックで、感傷的で、私の浅い食慾を嘲笑（ちょうしょう）しているようである。

幹子に説明して、弟に告げて、そうしたらこんな異様なことも日常に溶けていくのだろうか。

川のこちら岸には高い欅（けやき）の樹が葉を茂らせている。喬（たかし）は風に戦（そよ）いでいるその高い梢（こずえ）に心は惹（ひ）かれた。ややしばらく凝視（みい）っているうちに、彼の心の裡のなにかがその梢に棲（とま）り、高い気流のなかで小さい葉と共に揺れ青い枝と共に撓（たわ）んでいるのが感じられた。 「ああこの気持」と喬は思った。「視（み）ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ」《…略…》病鬱や生活の苦渋が鎮められ、ある距（へだた）りをおいて眺められるものとなる心の不思議が、ここの高い欅の梢にも感じられるのだった。

人と眼が合わないように歩く。人の後ろの後ろにも人がいて、更にその後方に焦点を投げていると誰とも眼は合わない。人の顔の輪郭はぼやけていて、 明瞭 な線としてまとまりかけたら自分がうつむけばよかった。