城戸と妻の香織との間で知らぬ間に日常となってしまった会話の欠乏は、端から見れば、ありきたりな〝倦怠期〟の風景に過ぎなかった。それは、コップに注がれた一杯の水のように静かに澄んでいて、どちらかが、さっと一口で飲み干してしまえば、仕舞いになるようなもののはずだったが、あまり長く置きっぱなしにしていたせいで、そもそももう飲めないのではないかという感じがしていた。 そして、そのコップに、一欠片 の氷が落ちたのだった。──そう、毒でも何でもない、ただの氷で、それはほどなく融けてなくなったが、彼らの沈黙は、確かに以前より冷たくなり、幾分かは飛沫が跳ね、水の面は揺れて、その記憶はいつまでも残ることとなった。
平野啓一郎「ある男」に収録 ページ位置:31% 作品を確認(amazon)
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倦怠期
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前後の文章を含んだ引用
......うまくいってないんですよ。」 と自分でも思いがけないことを打ち明けた。 中北は、日頃、私生活についてほとんど語らない城戸の唐突な告白に、ほう、という顔をした。 城戸と妻の香織との間で知らぬ間に日常となってしまった会話の欠乏は、端から見れば、ありきたりな〝倦怠期〟の風景に過ぎなかった。それは、コップに注がれた一杯の水のように静かに澄んでいて、どちらかが、さっと一口で飲み干してしまえば、仕舞いになるようなもののはずだったが、あまり長く置きっぱなしにしていたせいで、そもそももう飲めないのではないかという感じがしていた。 そして、そのコップに、一欠片の氷が落ちたのだった。──そう、毒でも何でもない、ただの氷で、それはほどなく融けてなくなったが、彼らの沈黙は、確かに以前より冷たくなり、幾分かは飛沫が跳ね、水の面は揺れて、その記憶はいつまでも残ることとなった。 発端は、城戸の宮崎出張に、香織が不審を抱いたことだった。 城戸は、守秘義務もあり、仕事のことを家庭ではほとんど話さなかった。妻の方も、まったく関心を示さなかっ......
単語の意味
幾分(いくぶん)
倦怠(けんたい)
風景(ふうけい)
幾分・・・全体のうちの一部。ちょっと。少しだけ。
倦怠・・・1.同じ物事が長く、もしくは何度も続いて、いやになる。飽きて嫌気が差すこと。
2.体や心がだるいこと。「倦怠感」
2.体や心がだるいこと。「倦怠感」
風景・・・自然の景色。目の前に広がる眺め。その場の情景。
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倦怠期の表現・描写・類語(恋愛のカテゴリ)の一覧 ランダム5
(通いなれた女の部屋)この臭いと懶惰が俺の生活に融け込み、同色の色合いみたいに適応を遂げたのである。恰も、動物が己れの穴の温みと臭気とに懶く屈んで眼を閉じているようなものであった。或は、俺の落伍的な怠惰が、その温みを女とこの部屋に染したのかもしれなかった。
松本 清張 / 真贋の森「松本清張ジャンル別作品集(3) 美術ミステリ (双葉文庫)」に収録 amazon
城戸と妻の香織との間で知らぬ間に日常となってしまった会話の欠乏は、端から見れば、ありきたりな〝倦怠期〟の風景に過ぎなかった。それは、コップに注がれた一杯の水のように静かに澄んでいて、どちらかが、さっと一口で飲み干してしまえば、仕舞いになるようなもののはずだったが、あまり長く置きっぱなしにしていたせいで、そもそももう飲めないのではないかという感じがしていた。 そして、そのコップに、一欠片 の氷が落ちたのだった。──そう、毒でも何でもない、ただの氷で、それはほどなく融けてなくなったが、彼らの沈黙は、確かに以前より冷たくなり、幾分かは飛沫が跳ね、水の面は揺れて、その記憶はいつまでも残ることとなった。
平野啓一郎「ある男」に収録 amazon
サトウとの生活は錆付いた沼のようにひっそりと淀んでいた。
小川洋子 / 冷めない紅茶「完璧な病室 (中公文庫)」に収録 amazon
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彼女は明るい調子で僕に声を掛けた。少し鼻にかかった声は僕を一瞬で生きた心地にしてくれた。
又吉直樹「劇場(新潮文庫)」に収録 amazon
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