僕の胸の中にも小さな恋の卵が幾個 か湧きそめて居ったに違いない。僕の精神状態がいつの間にか変化してきたは、隠すことの出来ない事実である。この日初めて民子を女として思ったのが、僕に邪念の萌芽 ありし何よりの証拠じゃ。 民子が体をくの字にかがめて、茄子をもぎつつあるその横顔を見て、今更のように民子の美しく可愛らしさに気がついた。これまでにも可愛らしいと思わぬことはなかったが、今日はしみじみとその美しさが身にしみた。しなやかに光沢 のある鬢 の毛につつまれた耳たぼ、豊かな頬の白く鮮かな、顎 のくくしめの愛らしさ、頸 のあたり如何にも清げなる、藤色の半襟 や花染の襷 や、それらが悉 く優美に眼にとまった。そうなると恐ろしいもので、物を云うにも思い切った言 は云えなくなる、羞 かしくなる、極りが悪くなる、皆例の卵の作用から起ることであろう。
伊藤左千夫 / 野菊の墓 ページ位置:12% 作品を確認(青空文庫)
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前後の文章を含んだ引用
......日以前の僕ではなかった。二人は決してこの時無邪気な友達ではなかった。いつの間にそういう心持が起って居たか、自分には少しも判らなかったが、やはり母に叱られた頃から、僕の胸の中にも小さな恋の卵が幾個 か湧きそめて居ったに違いない。僕の精神状態がいつの間にか変化してきたは、隠すことの出来ない事実である。この日初めて民子を女として思ったのが、僕に邪念の萌芽 ありし何よりの証拠じゃ。 民子が体をくの字にかがめて、茄子をもぎつつあるその横顔を見て、今更のように民子の美しく可愛らしさに気がついた。これまでにも可愛らしいと思わぬことはなかったが、今日はしみじみとその美しさが身にしみた。しなやかに光沢 のある鬢 の毛につつまれた耳たぼ、豊かな頬の白く鮮かな、顎 のくくしめの愛らしさ、頸 のあたり如何にも清げなる、藤色の半襟 や花染の襷 や、それらが悉 く優美に眼にとまった。そうなると恐ろしいもので、物を云うにも思い切った言 は云えなくなる、羞 かしくなる、極りが悪くなる、皆例の卵の作用から起ることであろう。 ここ十日ほど仲垣の隔てが出来て、ロクロク話もせなかったから、これも今までならば無論そんなこと考えもせぬにきまって居るが、今日はここで何か話さねばならぬ様な......
単語の意味
藤色(ふじいろ)
鬢(びん)
体(からだ)
優美(ゆうび)
横顔(よこがお)
頬(ほお・ほほ)
顎・頤・腭(あご)
首・頸・頚(くび)
胸(むね)
藤色・・・藤の花の色。藤の花に似た薄い紫色。
鬢・・・頭の左右側面の、耳より前の髪。耳ぎわの髪。
体・・・頭・胴・手足など、肉体全体をまとめていう言葉。頭からつま先までの肉体の全部。身体。体躯。五体。健康。体力。
優美・・・上品で、控えめな美しさを持っているさま。美しさの中にも落ち着きがあり、好ましい感じを与えるさま。
横顔・・・横向きの顔。横から見た顔。
頬・・・顔の一部。顔の両脇で、口の真横にあるやわらかい部分。ほっぺ。ほっぺた。
顎・頤・腭・・・1.口の上下の、歯の生えている部分で、話したり物を噛んだりするのに役立つ器官。
2.下あご。頤(おとがい)。
3. 釣り針の先に逆向きにつけた返しのこと。釣り針のかかり。鐖・逆鉤・逆鈎(あぐ)。
4.機械や道具などで、物をつかんだり引っ張ったりする開閉部分。
5.食事。食料。まかない。食費。
6.口をきくこと。物言い。おしゃべり。
2.下あご。頤(おとがい)。
3. 釣り針の先に逆向きにつけた返しのこと。釣り針のかかり。鐖・逆鉤・逆鈎(あぐ)。
4.機械や道具などで、物をつかんだり引っ張ったりする開閉部分。
5.食事。食料。まかない。食費。
6.口をきくこと。物言い。おしゃべり。
首・頸・頚・・・1.頭と胴体をつなぐ細い部分。頸部(けいぶ)。また、「頭」そのものを指す場合もある。
2.1に似た役割を果たす部分や似た格好の部分。衣服の襟(首にあたる部分)。「びんの首」「セーターの首」など。
3.免職や解雇することをあらわす。首を切るという意味から。
2.1に似た役割を果たす部分や似た格好の部分。衣服の襟(首にあたる部分)。「びんの首」「セーターの首」など。
3.免職や解雇することをあらわす。首を切るという意味から。
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その時わたしは、自分がどれほど野呂という男を愛し、欲しがり、自分だけを見ていてほしいと願っていたか、はっきりと知った。認めた。 理由などどうでもいい。彼はわたしの人生そのものだったのだ。
小池真理子「愛するということ (幻冬舎文庫)」に収録 amazon
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慕情がフワフワと空に浮いている雲か霞のように捕捉しがたい状態
高見 順 / 如何なる星の下に amazon
(浮気のメールを偶然見てしまう)画面を操作してやっていると、丁度、携帯にラインの着信があった。上部にバナーが表示されて、見る気もなかったのに目に触れてしまった。 「昨日の夜」という言葉と、子供向けのシールのようなハートの絵文字がちりばめられたそのメッセージを、城戸は反射的に、何か壊れやすいものの上に落ちている埃のように、親指でそっと払い除けた。スワイプして画面から消えたあとも、送り主である香織の上司の名前が頭に残っていた。しかし、それはまだ、脳の中の「短期記憶」と呼ばれる領域に留まっているに過ぎないはずだった。そして、ありがたいことに、それはほどなく、覚える必要のないこととして、跡形もなく消え去ってしまうはずだった。 画面が暗転すると、城戸は、何事もなかったかのように、それをテーブルの上に伏せて置いた。
平野啓一郎「ある男」に収録 amazon
わたしは目の前の、自分を抱いている男の背に腕をまわし、男の身体の重みを受けながら、その男のことが好きだ、気にいっている、などと心の底から思うのだった。
小池真理子「愛するということ (幻冬舎文庫)」に収録 amazon
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