落ち着いてゆっくり考えよう、そう思うそばから思考が風に吹き散らされてしまう。

深い霧のなかを影法師のように過ぎてゆく想念がだんだん分明になって来る。 　彼の視野のなかで消散したり凝聚（ぎょうしゅう）したりしていた風景は、ある瞬間それが実に親しい風景だったかのように、またある瞬間は全く未知の風景のように見えはじめる。そしてある瞬間が過ぎた。――喬にはもう、どこまでが彼の想念であり、どこからが深夜の町であるのか、わからなかった。暗のなかの夾竹桃はそのまま彼の憂鬱であった。物陰の電燈に写し出されている土塀、暗と一つになっているその陰影。観念もまたそこで立体的な形をとっていた。 　喬（たかし）は彼の心の風景をそこに指呼することができる、と思った。

（両袖で顔を抑えていると）まつ毛を通し袖を通して木部の顔とことにその輝く小さな両眼とがまざまざと想像に浮かび上がって来た。

とりとめのない考えを、そこいらに飛んでいる黄色い蝶のようにさまよわせる

神経衰弱から来る妄念（もうねん）

（悟りを開く）煩悩を解脱してシミひとつない白紙の脳裏

白痴の子が赤ん坊同様

脳味噌の中の廻転が次第に静まって、やがてヒッソリと停止した。

逃げまどうネズミの群れみたいに、様々な思いが散乱する

あの祈りは心の底から出たものではなかったと思う。あれは司祭としての義務から唱えたものだった。だから苦い食物の 糟かす のようにこの舌の先にまだ残っている。