楽して快感を手に入れると、人間の体は依存形成を行う

（禁煙を始めて）それから一ヵ月ばかり、ふさふさした尻尾を切り取られた動物みたいに、彼女は精神のバランス（もともとそれは彼女を特徴づける資質とは言いがたいのだが）を失っていた。

（疲れているのに画集を棚から取り出すことがやめられない）呪われたことにはまた次の一冊を引き出して来る。

サユリは、その夜、何度も、のたうちまわった。 「虫があ、虫があ。ああ！　コカコーラをちょうだい！」 　と、訳の解らないうわ言を叫び、ティエンを慌てさせた。まるでヘロインか何かと手を切ろうとする中毒患者である。

葉子は、男というものなしには一刻も過ごされないものとなっていた。砒石（ひせき）の用法を謬（あやま）った患者が、その毒の恐ろしさを知りぬきながら、その力を借りなければ生きて行けないように、葉子は生の喜びの源を、まかり違えば、生そのものを虫ばむべき男というものに、求めずにはいられないディレンマに陥ってしまったのだ。

（死体をスケッチする）一度、集中すると部屋の空間はすでに自分と死体しか存在しないかのようだった。

彼の中である種の混乱が始まっていた。感情の平原のどこかで不吉な砂嵐が発生しようとしていた。

川奈天吾がアパートの入り口に姿を見せるのと同時に、どこかで扉が大きく開かれ、現実感が牛河の意識に戻った。大気が真空を満たすように、一瞬のうちに神経は研ぎ澄まされ、新鮮な活力が身体に行き渡った。彼はそこにある具象的な世界に、ひとつの有能な部品として組み込まれた。かちんという心地よいセッティングの音が耳に届いた。血行の速度が上がり、適量のアドレナリンが全身に配られた。

校了日が間近く迫って比較的忙しい日

命の取りやりでもしかねない談判