この手術によってかえって死が決定的になるような不安が強かった。麻酔で昏睡するのが死の予行演習のような気がした。

（手術室の）スイッチを 捻ると、無影燈の青白い光が天井や四方の壁にまぶしく反射した。

無影燈のまぶしい青白い光も、海草のようにゆっくり動いている白い手術着をきた人間たちの姿も

手術室は思っていたよりもずっと素っ気ない小部屋で、壁も天井も床も機材も全部セメント色だ。

（卵巣摘出）不透明な白いビニールの手袋をはめた手が、何本も何本もその肉体の上で交差する。内臓は赤く充血して、鮮やかで、きれいでさえある。そして奥の方から卵巣が引っ張り出される。重さを量るように、一人の医師がそれを掌にのせる。卵巣は、震えるように小さく揺れる。彼女がこれを抱え込んでいた時の痛みが、全部この中に詰まっているかのように、表面がピンと張り詰めて、緊張している。医師がメスの先を表面に突き立てると、一筋の裂け目が走る。

「えっ？　朔美？　感じ変わったね。」 「えっ？　ほんと？」 「よく見ないとわかんなかった。」 「新郎側の 親戚 かと思った。」 　金ぴかの披露宴会場で、ひらひら着飾って真っ白に化粧した若い女の群れに口々にそう言われたら何だかおかしな気分になった。 　天界のものたちにありがたくてしかたないことを言われてるみたいだった。

葬式であんなに感動したことはない。《…略…》「ああ、本来これが葬式というものだったんだ」と私は思った。生前に何があったとしてもすべてを忘れて、その場を共有している全員が 悼んでいる、惜しんでいる、心から悲しみ、 冥福 を祈っている。美しすぎる。生まれて、生き抜いて死んでゆく人生というものがすばらしく見えすぎる。このたった数時間に死んだ人もその人に 関 った人々も、すべてがゆるされている。 　品のいい花輪、心のこもったお供え物。 荘厳 な 読経。ひとりひとりがこの場にいることを本当に大切にして一丸となっている。

鍵を開け、電気を 点 けると、学校へ行く前と全く同じ光景が、人工的な白い光に照らし出された。父はまだ帰ってきていないようだ。

火葬場に運ばれ、焼かれてしまう。煙となって空に立ち上り、雲に混じる。そして雨となって地表に降り、どこかの草を育てる。何を語ることもない、名もなき草だ。

すべすべに磨きをかけてある御影石の墓は、閃光に当たった面だけざらざらに焼け爛れ、光の当たらなかった方は元のまま滑らかになっている。

胃の手術をして以来、夫のたべものはずいぶん変った。それまで好きだったシチューや煮こみ料理は、あまり食べなくなった。

（食が細くなる患者）弟の膚の白さは、食べ物を戻せば戻すほど純粋になっていくような気がした。弟の身体から、だんだん匂いが消えていった。弟は、病室の清らかさの中にかっちりと組み込まれていった。

海岸から道路をひとつ隔てた広い敷地に、その療養所は建っていた。もともとは財閥関係者の別荘だったものが、生命保険会社の厚生施設として買い取られ、それがまた近年になって主に認知症患者を扱う療養所に変えられた。だから古い趣のある木造の建物と、新しい三階建ての鉄筋の建物が混在して、見るものにいくぶんちぐはぐな印象を与える。

（チョコレート嚢胞の手術）指先でつまんで、口の中で溶かしたくなるような言葉だ。 　しかし、メスの刃の下からあふれ出てきた液体は、言葉のかわいらしさとは正反対に、吐き捨てたくなるような不快な色をしている。血液が腐敗した色だ。ビニールの手袋の上にとろりと広がって、今までに溜め込んできた体温や体臭を一遍に放り出している。その傍で卵巣はすっかり萎びている。

床には埃と手術中の血をたえず洗い落す水が軽い細かな音をたてて流れている。その水が、天井につるした大きな無影燈の光に反射して、手術室全体を燃えた白金の炎のように輝かせていた。その中で浅井助手も看護婦たちもまるで水の中の海草のようにゆらゆらと動いている。