電話のベルが十二回鳴ったが、僕は受話器をとらなかった。ベルが鳴りやんだあとも、その余韻は部屋の淡い夕闇の中にちりのように漂っていた。

呼び出し音だけがいつまでも響いた。

ベルの最後の一音がアパートの長い廊下を突き抜けて夜の闇に吸い込まれると、突然の静寂があたりを被った。

ベルの鳴り方から、相手が小松であることは想像がついた。うまく説明できないのだが、小松のかけてくる電話はいつだってそれとわかる。ベルの鳴り方が特殊なのだ。文章に文体があるように、彼がかけてくる電話は独特なベルの鳴り方をする。

小松からかかってきた電話はなんとなくそれとわかる。ベルがせわしなく神経質な鳴り方をするのだ。まるで指先で机の表面をとんとんと執拗に叩き続けているみたいに。

（朝起きると、）自分が新しい人間になっていることに天吾は気づいた。目覚めは心地よく、腕や脚の筋肉はしなやかで、健全な刺激を待ち受けていた。肉体の疲れは残っていない。子供の頃、学期の始めに新しい教科書を開いたときのような、そんな気分だった。

はとのくちばしはとがっていて　いたくはないけれど　すばやくつっつく（ここまで夢の描写）　手でかばっても指のすきまから　首とかほっぺた　セーターのあみめの間からも　母さんも止めようとしてくれるが、つっつきはいつまでたっても 　びくりとして起き、眠りのために上がっていた体温が急に冷える。布団の感触や外気の匂いが五感に、さっきまでのは噓だ、これがリアルだと教えてくれる。薄く目を開くと世界は元通りで布団のなかで寝返りをして安心した。どんな夢を見ていたんだっけ。完全に現実だと思っていた夢の世界が急速に遠のいていき、ついさっきまでそのなかにいたのに、どんなだったかもうよく思い出せない。

叩き起こされ、俺は未練たらたらで布団から這いだした。

空き缶を振るような感じで何度か頭を振り、椅子から立ちあがってあたりを見まわした。

突然、暗い漏斗の底からぐいと引き摺（ず）り上げられたように、はっと眼が覚めた。

舟に波が鈍い音をたててぶつかったほかは海も陸も、死んだように黙っていた。

鼓膜が変になるような静けさ

天を真っ二つに裂くように雷鳴が激しく轟いた。

店内は凍てついたように静か

ズボンのポケット内の携帯電話にバイブレーションを感じた。

ズボンのポケット内の携帯電話にバイブレーションを感じた。

その番号にかけてみるとテープのアナウンスが出て、その番号は現在使われておりません、と言った。

市外局番がやけに長い電話番号

空いた手でフックを押す

「くっそう、このボロ携帯。とっとと鳴らないと塩漬けにするわよ」 　忠実な犬が主人の恫喝に怯え従うように、美咲の手の中で、携帯が震えた。

（寝落ち）彼はかなり疲れていた。然し習慣から、雑誌を持って寝床へ入った。然しそれは十分しない内に文句の意味が彼から遠のいて行った。半分眠ったようになって、それでも彼はそれへ追いすがろうとし、そして無理に意識をはっきりさすと、字は読みながら、もう意味は勝手な夢になっていた。

そんなに寝てたら目が溶けちゃう

他人の家で目覚めると、いつも別の体に別の魂をむりやり詰めこまれてしまったような感じがする。

万象に疲れた人のような鼾をかく

（物静かな司書）彼女はいつも、カウンターの向こう側にひっそりと坐ってた。繭の中でうとうと眠る蚕みたいだった。目を伏せて、何かをじっと見つめているような姿をしていたんだ。